ザ・殺し文句 感想

内容紹介
あと一歩で説得できるはずが詰め切れなかった。思いもよらぬことを言われて上手に切り返せなかった。そんな経験をしたことは誰しもあるはず。「あの場面で、どうしてもっと気の利いたことが言えなかったのか」。この本は、そんな悔しさを味わったことがある「あなた」のために書かれました。実業家、プロ野球監督、政治家等の「殺し文句」を徹底解剖。その構造を理解し、血肉とすることで殺し文句の使い手となれる驚異の書。


 比較的近年(太平洋戦争後)のビジネス界、スポーツ界、政界での「重要な場面で、相手を説得するための決め手になった、さまざまなフレーズ」を集め、その必殺技が繰り出されたシチュエーションを紹介した前半部と、そうした「殺し文句」を自分が駆使するにはどうしたら良いのか、その「殺し文句の構造」を分析した後半部からなる新書です。

 けっこう有名なエピソードもあり、田中角栄さんの話が多く採られているのも「今、やっぱりブームなのかなあ」と感じるのですが、詳細な背景を知ると、「こういう状況で使われた言葉だったのか」と、あらためて感心するところもあるのです。

 この新書の最初の事例として紹介されているのが、スティーブ・ジョブズが、当時ペプシコーラの事業担当社長だったジョン・スカリーを引き抜くときに言ったとされる、「このまま一生砂糖水を売り続けるつもりか? それとも世界を変えてみようと思わないか?」という「殺し文句」です。

 でもこの時のふたりの年齢や立場をご存知でしたか?
 この時、ジョブズはまだ28歳。口説いた相手のスカリーは16歳年上の44歳でした。
 当時、ペプシは、非常に勢いのある広告宣伝をしていた時期です。スカリーはその責任者でした。マイケル・ジャクソンをテレビCMに起用したり、ペプしチャレンジという目隠しテストをするという企画が大ヒットしました。
 それらの広告宣伝効果により、ペプシコカ・コーラを抜きアメリカの炭酸飲料マーケットでナンバー1ブランドになったのです。その立役者がスカリーでした。
 一方、ジョブズは、まだ20代。自宅からはじめたAppleコンピュータはシリコンバレーを代表する企業になっていました。1980年には株式公開をして2億ドルもの巨額の資金を手中にし、コンピューター業界の革命児ともてはやされてはいました。しかし、まだまだ新興のベンチャー企業であり、ペプシとは比べようもない規模の会社だったのです。


 いま、ちょうどこのときのスカリーと同じくらいの年齢の僕としては、ジョブズ口説き文句の見事さとともに、「迷った末にせよ、よくこんな傲慢な20代の男の誘いに乗ったものだな」と感心せずにはいられないのです。
 そもそも、自分が責任者である会社をバカにされている、とも取れる(というか、そう受け止めるのが自然ですよね)ことを言われているのに。
 のちにこの二人は仲違いをして、スカリーがジョブズAppleから追放してしまうのですが、この新書によると、スカリーは最近になって、「ジョブズを解雇したのはAppleで仕事をしていた中で犯した最も大きな間違いの一つだ」と語っているそうです。
 僕はジョブズの伝記やAppleに関する本をけっこうたくさん読んできたのですが、あの時期にジョブズを追放するという判断は、経営責任者としては、当たり前のことだったのではないか、と思うんですよ。ジョブズの独善性とこだわりは、とんでもない浪費をAppleにもたらしていたのは事実だし。
 そして、一度Appleから離れて外の世界を見たことが、のちにAppleに復帰してからのジョブズの大成功をもたらしたのではないか、という気がするのです。
 あのままAppleにいたら、会社もジョブズも「潰れていた」かもしれません。
 もちろん、こういう問いに正解は無いし、スカリーはそう思っている、ということでしかないのですが。
 人生は結果オーライというか、「伝説の英雄」になると、そのプロセスでの問題もすべて美化されてしまうのかな。

 これを読んで、あらためて思うのは、「殺し文句」というのは「誰がそれを言うか」が、いちばん大事ではないか、ということなのです。
 長嶋茂雄さんが、西武からFA宣言した清原和博選手に「思い切って僕の胸に飛び込んで来てほしい」と言って口説いた、という話なんて、長嶋さんが言うからこそ、効果があるわけで。
 カープファンの僕としては、金本選手がカープから阪神に移籍した経緯を読むと、「これ、カープはどうにかできなかったのか?というか、できただろこれ……」と、あのときのことを思い出さずにはいられませんでした。
 それが引き金になって、新井さんも阪神に移籍し、金本さんが阪神の監督になり、カープに出戻りした新井さんがMVPを獲る活躍をみせてカープが優勝、というのも、感慨深いものがあります。
 あの金本さんのFAがなかったら、もっと早くカープは優勝できていたかもしれないし、逆に、まだ暗黒次代が続いていたかもしれない。
 人生って、何が幸いし、何が災いするか、わからないものです。

 後半の「殺し文句の法則の解説編」では、大正時代に総理大臣を務めた原敬さんのこんなエピソードが紹介されています。

 総理になった原の元には、毎朝数十人もの陳情客が来ていました。順番に面会していくのですが、朝一番の客には必ず次のように語ったといいます。
「君の話は、いの一番に聞かねばならんと思ってね」
 一方で最後まで待たせた客には次のように語りました。
「君の話はゆっくり聞かなければならないと思って、最後までお待ちいただきました」
 客の方も、原が来た順番に会っていることはわかっていました。それでもこのように言ってもらえたら悪い気はしません。このように、自分を特別で重要だと思わせることで、原敬の人気は高かったといいます。


 なるほどなあ、言うだけならタダだし、相手も社交辞令だとは思いつつも、総理大臣にこう言われれば、たしかに「悪い気はしなかった」はずです。
 こうして本になっているのを読むと、こういう殺し文句を駆使する人は、ちょっと「あざとい」感じもするのだけれど、現実では「このくらいのことはやらないと、他人とうまくやったり、自分をアピールすることはできない」のかもしれませんね。

 僕はこの新書を読みながら、これは、「他人にどういう殺し文句を使うか」というよりは、「人が自分を利用しようというときには、どういう言葉を使ってくるのか」を知るために役に立つな、と考えていたのです。

 決して悪用はしてほしくない。というのも、詐欺師やそれに近いような輩も、このような手法を取り入れることが多いからです。
 例えば以下のように。

「実はとっておきの投資先があるんです。これを教えるのはあなただけですよ」
「他の人には絶対内緒ですよ。実は○○資金というのがあって……」
「○○さんは信用できると思うので、こっそりお教えしますが……」

 などという「あなただけを強調」した言葉を巧みに使って、カモに近づいてくるのが詐欺師の典型的な手口です。


 こういう相手の手口を「予習」しておけば、いざというときに騙されにくくはなると思うのです。
 「あなただけ」と言われても、「ああ、詐欺師の『殺し文句』が来た!」と、冷静に対処できる可能性が高いはず。
 「自分がそんな凄い情報を明かされる価値のある人間なのか?」と冷静に考えれば、「そんなうまい話は嘘だろう」という結論に達するのに、人間って、「あなただけ」って言われたら、それだけで、舞い上がってしまう。

 そんなに物珍しいこと、斬新なことは書かれていませんが、こういうふうに名言とかをまとめてある本って、つい手にとってしまうんですよね。
 そして、読んでみると、ちょっと得をした気分になれるのだよなあ。