手塚治虫アシスタントの食卓 感想

内容紹介
漫画の神様・手塚治虫氏のアシスタント時代の話を、当時の食事情もまじえて漫画化!
多くの漫画連載とアニメ制作が重なり地獄と化した時期の様子や、手塚氏から受けた漫画教室、まるで宝さがしのような手塚氏の仕事部屋の掃除など、アシスタントだからこそ知る仕事場の裏事情や、日本を代表する作品の裏話が満載で、全164ページと読み応えもたっぷりです!
アシスタント時代の同期たちによる座談会や、当時の思い出の品も写真で特別収録!!


 この漫画では、1970年代半ばから、70年代後半の「手塚治虫先生が漫画を描いていた現場」と、そこでアシスタントとして働いていた若者たちと、その食生活が描かれているのです。
 僕にとっては、ちょうど、物心がついた時代でもあるのですが、登場人物たちが食べている鰻丼やうどん、中華料理など、みていてとても懐かしくなりました。
 平成の30年間は、日本経済にとっては「停滞の時代」なんて言われがちなのですが、平成がはじまる10年前くらいに、田舎の子供だった僕には、「吉野家の牛丼」が、憧れの存在だったことを思い出したのです(この作品に牛丼は出てこないのですが)。都会では、「牛肉」が、こんな安い値段で手軽に食べられるのか……と感心していたんですよね。
 この40年間で、食べ物の選択肢というのは、食材もジャンルも営業時間も、ものすごく広がっていて、そういう点では、「日本は豊かになった」とも言えるのでしょう。いろんなものが安くなった一方で、薄利多売を生み出すための、安い労働者が求められるようになり、格差が広がった、というのが紛れもない事実なのだとしても。

 手塚先生は、没後、宮崎駿監督に「日本のアニメ業界の過重労働を当たり前のことにしてしまった張本人」だと糾弾されたこともあったのですが、この本のなかでも、プロダクションのアニメ制作部のきつい仕事の様子が、漫画制作組の目から描かれています。
 とはいえ、漫画組からすれば、アニメは「後発で、赤字ばかり垂れ流して、その尻拭いを漫画でやっているのに、大きな顔をしている」というような気持ちもあったようです。
 
 あと、手塚治虫先生は、漫画部のアシスタントたちに、その日の仕事があってもなくても(手塚先生の原稿の進み具合によって、アシスタントの仕事量も変動するので)、夜の12時から1時間の「夜食の時間」を設けていたそうです。その時間は、同じビルの地下の小料理屋で、なんでも好きなものを会社持ちで食べて良いことになっていたのだとか。
 さらに、夜勤には、夜食だけではなく、翌朝の朝食も付いていて、手塚先生には、「アシスタントには、ちゃんと食べさせてやってほしい」という強い意向があったのです。
 
 この本を読んでいると、アシスタントの仕事も相当ハードなものなのに、彼らが交代で仕事をしているなか、作品の核となる部分はすべて自分で手を入れ、指示を出していた手塚治虫先生は、本当に「超人」だな、と思わずにはいられません。
 そして、手塚先生自身に、スタッフを酷使しようという意図があったわけではなくて、「手塚治虫のマイペース」で仕事をこなしていると、周りもオーバーペースになってしまっていただけなのではないか、とも感じるんですよ。
 ずっとそばで働いているアシスタントたちにとっては、「漫画の神様」もそれなりに身近な存在だったのではないか、と「知られざる手塚治虫の人柄」みたいなものが描かれているのを期待していたのですが、アシスタントたちにとってすら、手塚治虫は、「別室で仕事をしていて、なかなか声もかけてもらえず、作品には妥協せず、それでいて、周囲の人たちに優しくしてあげたいという善意は伝わってくる」という、まさに「神様」だったのです。
 

 『ブラック・ジャック』の週刊連載の最終回『人生という名のSL』を脱稿した日、アシスタントたちがカレーを食べに行く話が出てきます。

ブラック・ジャック」といえば やっぱカレーでしゅ!」
 そーなの?
「銃創」の回に ブラックジャックがカレーライスとコーヒーを注文するシーンがあったじゃんか 店員がほかの高いものすすめても「カレーライスとコーヒー!」って
 あった あった
 で店員が「びんぼう人め!」って陰口たたくんだよな


 ああ、僕もこの「カレーライスとコーヒー!」の場面、なぜかすごく記憶に残っているのです。どういう状況だったかも、『銃創』のストーリーも覚えていないのに、「カレーライスとコーヒー!」「びんぼう人め!」の部分だけ。
 ヘンな食べ合わせだな、と思ったのか、当時から、他人にすすめられたものを断るのが苦手だった僕が、毅然として自分のオーダーを貫く(あたりまえ、ではあるんですが)ブラック・ジャックに憧れたからなのか。
 
 レオが西武ライオンズのキャラクターとして、3000万円で「売り飛ばされた」話には、そのレオが野球をしている絵で、手が左右逆に描かれているくらい、手塚先生は運動オンチだった、なんてエピソードもありました。
 先輩アシスタントの送別会の際に、みんなの前でピアノを披露する(『鉄腕アトム』を弾いておられたそうです)手塚先生も、すごく魅力的でした。
 

 この本の著者の武居さんは、赤塚不二夫のマンガ家生活晩年の作品について、

 僕は、赤塚の『クソばばあ』を読んで、唖然とした。『クソばばあ』は、赤塚が一人でアイデアをやった。赤塚が一人で描くと、こんなにつまらない作品になるのか。赤塚一人にアイデアをさせちゃいけない、と思った。

 とまで酷評しています。
 その一方で、

 赤塚は、自分のアシスタントを次々に一本立ちさせる。それは、すなわち自分の作品を痩せさせることだ。右腕を、左腕を切り落としていくのと同じだ。アイデアが薄まり、絵が枯れていく。赤塚にも、それが判っている。判っていながら、それをやる。僕は、それを見ていて、本当に立派だと思う。人の道に外れていないと思う。

 と、自分の優秀なアシスタントたちをどんどん「独立」させていった「潔さ」に最大の賛辞も贈っているのです。
 赤塚さんのフジオ・プロからは、高井研一郎(『総務部総務課 山口六平太』)、北見けんいち(『釣りバカ日誌』)、土田よしこ(『つる姫じゃ〜っ!』)、古谷三敏(『ダメおやじ』)、とりいかずよし(『トイレット博士』)など、多くの人気マンガ家が独立していきました。武居さんはこの本のなかで、「神様・手塚治虫のアシスタントからは、とうとうひとりも名の知られたマンガ家は出なかったのに」と書かれています。

 この本の巻末には、当時のアシスタントたちの座談会が収められていて、読みどころのひとつになっているのです。
 手塚先生も、多くのアシスタントを漫画家に育てたんだよなあ、と僕には思われます。ただ、手塚先生は雲の上の人すぎて、アシスタントたちも手塚先生を尊敬しすぎていて、「天才すぎる人に圧倒されて、『手塚治虫のアシスタントとして成長する』ことが目的になってしまい、自分のオリジナリティを信じ切れなかった」面もあるのかもしれませんね。
 これはむしろ、赤塚先生がすごすぎる、という話なのでしょう。
 

 読んでいて、自分が子供の頃に食べたものや、若い頃にがんばっていたことを思い出さずにはいられなくなりました。
 今の僕は、というか、多くの人は、この時代のアシスタントたちよりも、ずっと立派なご飯をふだんから食べているはずなのに、ここに描かれている食べ物は、ものすごく美味しそうなんですよ。